博多祇園山笠

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博多祇園山笠

博多祇園山笠 博多っ子の心意気

「山笠太鼓 響けば 夏の朝となり」真珠洞
博多の7月、「オッショイ、オッショイ」のかけ声がこだまする。博多っ子達の律動が風と呼応し、町を駆け巡る。夏本番到来。博多がもっとも賑わう祇園山笠の季節である。 祭りの間、金色燦然と輝く絢爛豪華な「飾り山笠」と、意気天を突く勇壮無比な「舁き山」は、博多っ子たちの心身の拠り所である。これらの製作には、代々博多の人形師がたずさわる。これは大変名誉なことであり、誇りでもある。「山笠を作る事を商売と思ったらバチが当たる。数日寝ないでも作りあげる」。そう、ある人形師が言っていたのが印象的だった。

博多祇園山笠は、正式には博多の総鎮守である「櫛田神社」の夏の大祭神事である。その期限については諸説があるが、一般的には仁治2年(1241)、承天寺の開祖聖一国師が、当時博多に流行した疫病の退散を祈願したのが始まりといわれ、750年の歴史を持つ。この歴史は決して平坦なものでは無く、住民の知恵と熱意で受け継がれてきたものだ。祭りはふるさとの誇りであり、市民、県民の注目度も高い。時代が変わっていくとともに、私たちの生活も大きく変化している。しかし世紀をこえても変わらないものがある。

博多祇園山笠 博多祇園山笠は、優美な「飾り山笠」の公開と、「お汐井」の儀式で身を清めて、「かき手」の無事故を祈願する「お汐井とり」の儀式から始まる。10日夕方からの「流れ舁き」から「舁き山」が地響きをたてて動き出し、11日の「朝山」「他流れ舁き」、12日の「追い山ならし」、そして13日の「集団山見せ」へと続き、かき手たちは無償の行事に没頭してゆく。クライマックスは15日未明、朝の太陽が東の空を染め始める頃、4時59分重さ1トンの山笠に男たちの鼓動が伝わり、命が宿る。目頭が熱くなり、鳥肌が立つほど見るものに感動を与える瞬間。「櫛田入り」。観衆が沿道を埋め尽くす博多の街を山笠と一帯となった男たちがひた走る。そして、山笠は朝の光が射し込む決勝点「廻り止め」へ。男たちの歓喜の声がこだまする。 男たちは何故そこまで熱くなるのか・・・・・ 博多っ子は親しみと尊敬の意を込めて、男達を「山のぼせ」と呼ぶ。

見た目には豪快で、華やかで、威勢がよくて、男臭さに満ち溢れたお祭り。「山のぼせ」たちは、祭りの最中は勿論のこと、その前後も含めてロクに仕事もせず酒を飲み、毎夜中洲に繰り出しては、面白おかしく楽しんでいるように思われがちだ。しかし、それは上辺に映る僅かな一面でしかない。 山笠の本当の世界は、日ごろの地道な努力と精進を重ねた上に成り立っていて、極めて地味である。それがあるからこそ、しっかりと根付いた同じ町内の仲間同士の信頼関係は維持され、厳格な上下関係、従関係も尊守される。その「山のぼせ」たちが持つ心の絆と連携があるからこそ、山笠における大変な行事の運営ができるといえよう。

中村信喬 博多の男にとって、山笠の存在というのは「心の支え」であり、「心のより所」であり、「人生そのもの」だ。男の一生の夢、ロマン、生き甲斐そのものなのだ。山笠は決してすがったり逃げ場にしたりするのではなく、己の成長のバネにする大切なものだとの認識。 そんな山のぼせたちの思いの凝縮が、「追い山」である。だから、博多の男たちは熱くなる。 今年も人形師が丹精こめて造り上げた舁き山の人形が動き始める。山のぼせたちの思いを乗せて走り始める。大勢の人に見守られながら。人形師たちもそれを眺め、そして思う。また来年も作りたいと。

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