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数少ない献上薩摩の伝統を支えるの作家の一人に畦元紀秀がいる。
畦元紀秀の工房は鹿児島市郊外の竹林の中にひっそりとたたずむ。その静けさは献上薩摩の燃えるような情熱を覆い隠すようである。しかしひとたび工房の中に入ると雰囲気は一変する。ピリッとした緊張に包まれ、仕事人の薩摩焼に賭ける気迫がみなぎっている。
日本屈指の細密画陶芸家といわれている畦元紀秀の仕事は、常人ならば二年もすれば廃人となるといわれるほど神経を使う仕事であり、妥協ということばの入る余地は無い。畦元紀秀本人も「献上薩摩に必要なのは技術もさることながら並外れた忍耐力と集中力である」という。そう納得させるものが畦元紀秀の仕事から計り知れる。
その仕事は、基礎となる乳白色の生地作りに始まる。最良の生地を作ることが献上薩摩の絶対条件である。それゆえ、生地を焼く温度から時間など作陶の過程を刻銘に記録しどのような変化も見逃すまいとする気構えが感じられる。
次に、金液で「骨描(こつがき)」という技法を用い、文様の輪郭を描く。細かな骨にも似た筆の運びは、職人芸である。コツコツと職人のように描くことで、えもいわれぬ繊細華麗な金襴手の下地をつくる。それに十八金に相当する金泥を塗りこんでいく。この純度を保たないと、やがて金の部分は変色してしまう。金泥を含んだ筆先は微妙に重く、作業は二時間が限度であるという。
さらに何種類もの華麗な色を出来上がりの想定をしながら探るように塗りこんでいく。薩摩焼の場合、これを「色込め(いろごめ)」という。ここまでの間、作品の異なるごとに焼成・彩色を数回繰り返す。
このような完成に至るまでの筆の運びは、数十万回にもなるといわれ、気の遠くなるような作業の連続である。この並外れた忍耐力と集中力を持ち合わせたものだけが到達できる天国的境地は、精繊華麗でこの世のものとは言えぬほど優美な美しさをただよわせている。
これだけに留まらず、畦元紀秀は伝統的な献上薩摩を金と赤だけの世界で表現したいと考えている。そのために、金箔の焼成によって金そのものから色を出す「金箔窯変」の技法に取り組んでいる。これは白薩摩の生地に金箔を貼り白金色や淡緑色に変化させ、その上に独自の顔料である透明の赤や青緑色を併用する二度の焼成法である。生地に金箔を貼り付ける技法に成功するのに八年、それから白金の色を出すのに十二年、淡緑色を出すのに十六年、最近二十年目にしてようやく赤を出すことに成功した。畦元紀秀の到達した赤の世界は、透明感のある赤と朱色に近い赤の二種類があり色彩に奥行きがある。
畦元紀秀の作品のモチーフには、細密な菊の文様や、庭に咲く草花など自然のものが多い。しかし最近では二十年の集大成である金と赤を駆使し、西域よりシルクロードを経由してわが国に伝来した「宝相華紋」や「瑞鳥紋」などの架空の文様などにも取り組んでいる。金と赤を使ったそのモチーフは架空のものにふさわしく、非常に幻想的である。従来の錦手・金襴手にこの金箔窯変の技法を加え作品の幅が広がった。
伝統の献上薩摩と新しい金箔窯変・・・・畦元紀秀は古きを追求しながら新しきを常に追い求め続けている作家である。作陶三十五周年を向かえますます輝きを増すその技量は、黄金の輝きのようである。
昭和3年 鹿児島市高麗町生まれ 昭和29年 第一回鹿児島県美展白薩摩焼(工芸部)出品 昭和52年 全国第一回陶磁器技能検定試験鹿児島県検査委 昭和53年 第二回全国伝統的工芸品展入賞 色絵菊小紋風(香合)鹿児島県知事賞 昭和56年 東京日本橋三越個展 昭和64年 一月六日(神戸長田神社)昭和天皇菊色絵小紋壷献上 平成元年 三月八日(奈良薬師寺納入)金箔窯変「青龍壷」 平成3年 天皇陛下菊小紋喰籠献上 平成4年 九十二年淡交ビエンナーレ茶道美術公募展入 色絵菊小紋瓜型水指 各地にて個展開催