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このような時代の波に揉まれながらも、辻家では「禁裏御用」としての役目を重要視するために、染付による御器の製作に情熱を燃やし努力を重ねていった。そうした秀品の制作を目標とする揺るぎない職人気質が八代喜平次へも引き継がれ、「極真焼」という幻の製法を生み出すことになる。
この、「極真焼」とは文化八(一八一一)年に八代によって発明された辻家秘伝の磁器製法のことである。製品を同質の匣鉢を作り、蓋との接触部分と内部全面に釉薬を十分に施して焼成することで匣鉢を真空状態とする。その結果、内外のガスの浸透と拡散を完全に遮断することで、気品あふれる肌の光沢と深い呉須の発色の製品を得ることを目的とする焼成法である。しかしながら焼成後、鉄槌で匣鉢を粉砕して製品を取り出すという多くの手間の割には一回限りの製法でもある。つまり現代に比べて焼成技術が遅れている中で、一層素晴らしい製品を御所へ献上するために、あらゆる技術を駆使して巧みに創り出された技法であった。
弘化元(一八四四)年には、仁孝天皇より九代喜平次が代々の辻家の「禁裏御用」としての役目及び忠臣に対し、「御茵=天皇の御座」を賜っている。続いて安政三(一八五六)年には孝明天皇より十代喜平次が天皇即位式の図を表した「紫宸殿図」を拝領している。この頃の辻家の名品として『染錦鶴亀文龍型水注』や『波涛双龍文瓶懸』などがあり当時の技術の高さをしのばせる。
十九世紀に入り瀬戸や美濃の磁器生産が活発化し全国への流通が盛んになると、有田へも多大な影響があり、国内市場の独占力にも陰りが見え始めていた。そうした中、御所より一貫して拝命がなされてきた「常陸大掾」を受け継ぐことで、辻家の「禁裏御用」窯焼としての地位は、有田において唯一掲げられる希望であった。それ故、辻家に連綿と続く伝統技術と地方名望家としての地位が、幕末期及び明治前期に再び浮上してくる有田焼の海外輸出に向けての大きな礎石になったのである。